Kengi Tomashino
100メートル11.1秒の俊足。内外野どこでも守れ、機動力野球にはなくてはならないオールラウンドプレーヤー。ソウルオリンピック銀メダリスト
兄・誠治(元西武ライオンズ)のあとを追って入学した大阪・上宮高校では、2年の春、センバツ出場。また、中央大学時代には主将を務め、日米大学野球優勝。ソウルオリンピックにも古田敦也選手、野茂英雄選手らとともに出場し、銀メダルを獲得した。
1989年ヤクルトに入団すると、1年目からスタメンに名をつらね、32盗塁をマークし、新人王を受賞。その後も5つの守備位置をこなすユーティリティプレーヤーとして活躍。しかし94年、右肩・ひじの手術で、2年間ほとんど一軍出場機会を得ず、1998年、広島東洋カープに移籍する。1999年引退、そのまま広島一軍守備走塁コーチを3シーズン務めた。
1983年 | 春・センバツ出場(上宮高校2年時) |
1985年 | 中央大学入学 |
1988年 | 日米野球 優勝 |
ソウルオリンピック 銀メダル(公開競技) | |
1989年 | ヤクルトスワローズ入団(ドラフト3位) |
32盗塁をマークし新人王受賞 | |
1992年 | 日本シリーズ出場 |
1993年 | 日本シリーズ出場 日本一に |
1994年 | 右肩・ひじの手術 |
1998年 | 広島東洋カープに移籍 (2年間在籍) |
1999年 | オフに現役引退し、広島・一軍守備走塁コーチに |
2002年 | オフにチームの守乱の責任をとりコーチ辞任 |
広島東洋カープ(2000-2002)
子供の頃から、最大のライバル&相談相手は、兄・誠治だった。
ソウルオリンピックで、日の丸を背負って野球をした経験。
入団1年目で、いきなり32盗塁・新人王の大活躍。
「野村監督」という存在。 怪我との戦い・・・など。
・CSフジ・文化放送にて、野球解説(2003年~)
・フジテレビ『プロ野球ニュース』
・TBSテレビ『筋肉番付』
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