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元プロレスラー



大相撲からプロレスへ──格闘歴50年、生きる伝説。ミスタープロレス・天龍源一郎
馬場・猪木から日本人唯一のピンフォールを奪い、“限界点”を超え続けた革命者
| 生年月日 | 1950年2月2日 |
|---|---|
| 出身地 | 福井県勝山市 |
| 競技歴 | 大相撲/プロレス |
| リングネーム | 天龍源一郎 |
| 声 | 「日本一活舌が悪いらしいけど、言葉はしっかりと届きますよ」 |
| 趣味 | 競馬、映画鑑賞 |
| (相撲時代) | |
| 1963年12月 | 中学2年で二所ノ関部屋へ入門(四股名:嶋田) |
| 1971年9月 | 十両優勝、四股名を「天龍」へ |
| 1976年9月 | 秋場所を8勝7敗の勝ち越しで終え相撲を引退 ※最高位:西前頭筆頭(幕内通算16場所) |
| (全日本プロレス時代) | |
| 1976年10月 | 全日本プロレス入団 海外武者修行:アメリカ・テキサス州アマリロ(ザ・ファンクス) |
| 1977年6月11日 | 日本デビュー戦(於:世田谷区体育館/馬場とタッグ) |
| 1983年2月23日 | リッキー・スティムボートを破りUNヘビー級王座獲得(日本初タイトル) |
| 1985年1月 | 長州力らジャパンプロレスとの激闘が始まる 名タッグ・鶴龍コンビ、龍艦砲、龍原砲などで活躍 |
| 1987年〜 | “天龍革命”がスタート。「痛みの伝わるプロレス」でファンの支持を獲得 「プロレス大賞」3年連続MVP受賞 |
| 1987年〜1990年 | 鶴田との名勝負 |
| 1989年11月29日 | 日本人として初めてジャイアント馬場からピンフォール(札幌・最強タッグ) |
| (SWS〜WAR〜新日本との闘い) | |
| 1990年 | SWS入団(プレ旗揚げ:9/29) 横浜アリーナ2連戦(10/18・19) |
| 1991年12月12日 | 東京ドームにてハルク・ホーガン戦 |
| 1992年6月 | SWS解散 |
| 1992年7月 | WAR設立。新日本プロレスとの対抗戦開始 |
| 1994年1月4日 | アントニオ猪木に勝利 |
| 1994年5月5日 | 大仁田厚と電流爆破対戦(川崎球場) |
| 1996年 | Uインター高田延彦と対戦 |
| 2000年7月2日 | 神取忍とシングルマッチ。“ミスタープロレス”と称される存在に |
| (天龍プロジェクト始動) | |
| 2010年4月19日 | 天龍プロジェクト初興行(新宿FACE) |
| 2015年11月15日 | 引退試合「革命終焉 Revolution FINAL」 ※対戦相手:オカダ・カズチカ(両国国技館) |
「唯一無二の生きる伝説が、あなたの人生にエールを送る」
天龍源一郎は、相撲からプロレスへ転向した理由を「相撲だけでは満たされない若さがあった」と語る。相撲への敬意を有し、プロレスではエリート扱いから始まったわけではなく、先輩の厳しさに揉まれ、穴埋めで抜擢された試合を生かしポジションを掴んだ。猪木の得意技・延髄斬りを使い続け、批判を恐れず己の道を貫く姿勢が注目された“天龍の革命”が始まる。相手の心意気を試し、攻撃をとことん受け「痛みの伝わるプロレス」を見せ「俺を超えてみろ」という哲学を示した。
ジャンボ鶴田との闘いは全日本プロレスの構造改革に繋がり、SWSへの転出でプロレス界の待遇問題も示した。電流爆破・大仁田、神取忍、オカダ・カズチカとの戦いまで、あらゆる選手を巻き込みプロレスの中心にいる人生を体現した。
年間ベストバウト9回(日本人最多タイ)、三冠ヘビー級王者として輝き、引退後も“ミスタープロレス”の名は色褪せない。体の酷使で車いす生活となった今も、「革命魂」「反骨精神」「経営哲学」「自分の体との付き合い方」を伝え続けている。
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