Seiji Ooko
メキシコオリンピック銀、ミュンヘンオリンピック金をはじめ、男子バレーボール界の黄金時代を築いた日本のエースアタッカー「世界の大砲」
1967年、地元・川崎にある日本鋼管に入社。その年からVリーグの前身である日本リーグの第1回大会にエースアタッカーとしてレギュラー出場。いきなり敢闘賞とベスト6を受賞する。
同年、東欧遠征に参加し全日本デビュー。国際舞台での活躍も華々しく、常に全日本男子バレーボールチームの主力アタッカーとして多くの大会で活躍し、メキシコオリンピック銀メダル、ミュンヘンオリンピック金メダルに貢献、「世界の大砲」と称された。
若き日の大古を見たブランデージ元IOC会長から「ビッグホース」と、そのパワフルなプレーぶりを称賛された逸話を持つ。
ミュンヘンオリンピック後、1973年サントリーに移籍しバレー部を創設。同社バレー部の主将、監督を経て、1982年の第10回世界選手権アルゼンチン大会(4位)以降1990年まで全日本チームのアシスタントコーチを務めた。
翌1991年4月から1995年12月まで全日本男子チームの監督として、92年バルセロナオリンピック(6位)を始め多くの国際大会に出場した。
オリンピックに選手として3度、指導者として2度、世界選手権にも選手として2度、指導者として3度出場しバレーボール界の発展に大きく貢献した。
2004年4月、アメリカバレーボール殿堂入り。現在もバレーボール界の発展に情熱を注いでいる。
1968年 | メキシコオリンピック 銀メダル |
1969年 | ベルリンワールドカップ 銀メダル |
1970年 | ソフィア世界選手権 銅メダル |
1972年 | ミュンヘンオリンピック 金メダル |
1974年 | メキシコ世界選手権 銅メダル |
1976年 | モントリオールオリンピック 4位 |
1984年 | ロサンゼルスオリンピック 7位 |
1989年 | ワールドカップ(日本) 6位 |
1990年 | アジア大会(北京) 3位 |
1991年 | アジア選手権(パース) 金メダル |
ワールドカップ(日本) 4位 | |
1992年 | バルセロナオリンピック 6位 |
1993年 | アジア選手権(タイ) 銅メダル |
1994年 | アジア大会(広島) 金メダル |
世界選手権(ギリシャ) 9位 | |
1995年 | アジア選手権(ソウル) 金メダル |
ワールドカップ(日本) 5位 | |
2002年 | アジア大会(釜山) 銅メダル |
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