Kazuyuki Kyoya
車いすバスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ
元Jリーガーが車いすバスケットボールでパラリンピック4大会連続出場。東京大会ではヘッドコーチとして史上初となる銀メダルを獲得。現在は、サッカー指導者と車いすバスケの強化・普及という2つの夢を追いかける。
地元の強豪・室蘭大谷高校へ進学し、1年生から背番号10番を背負い、全国高校選手権に3年連続出場を果たす。卒業後はジェフ市原と契約し、プロサッカー選手になるという夢を叶えた矢先の1993年Jリーグ開幕半年後に交通事故で脊髄を損傷、車いす生活となる。
その後出会った車いすバスケットボールで新たな夢を見出し、2000年のシドニーパラリンピックから日本代表入りを果たすと、続くアテネ・北京・ロンドンと4大会連続でパラリンピックに出場。08年の北京大会では日本選手団主将を務めた。
競技者を引退した後は指導者としての道を歩み始め、車いすバスケットボール日本代表アシスタントコーチに就任。2016年リオデジャネイロ、自身5大会目のパラリンピックは指導者としての出場となった。
2020年からはヘッドコーチに就任し、東京パラリンピックで車いすバスケット史上初となる銀メダル獲得。指導者として日本の強さを世界に示した。また、U23日本代表のヘッドコーチも兼任し、若手の育成にも力を注ぐ。
<サッカー> | ||
室蘭大谷高校時代 | インターハイ2回・国体3回・高校選手権3回出場 | |
高校3年時、国体全国3位 高校選手権、優秀選手受賞 | ||
1989年 | 日本ユース代表(高校2年) | |
1990年 | バルセロナオリンピック代表候補選出 | |
高校選手権優秀選手 | ||
1991年 | ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)に加入 | |
1993年 | 事故により引退 | |
<車いすバスケットボール> | ||
1994年 | 「千葉ホークス」に加入 | |
・国内タイトル | ||
1994年・95年・96年・98年・ 2003年・05年・06年・07年 |
全国車椅子バスケットボール選手権大会「優勝」 ※94~96年、05~07年、同一チーム2度の3連覇は史上唯一 ※98年~09年まで12年連続ファイナル進出 |
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・個人タイトル | ||
2000年・02年・04年・ 07年・08年・12年 |
全日本選手権「ベスト5」賞受賞 | |
2005年 | 全日本選手権「MVP」賞受賞 | |
・国際大会(日本代表として出場) | ||
2000年 | シドニーパラリンピック | 9位 |
2002年 | 北九州ゴールドカップ(世界選手権) | 8位 |
2004年 | アテネパラリンピック | 8位 |
2006年 | アムステルダムゴールドカップ(世界選手権) | 7位 |
2008年 | 北京パラリンピック ※日本選手団主将 | |
2010年 | 広州アジアパラリンピック | 金メダル |
2011年 | ロンドンパラリンピックアジアオセアニア地区予選 | 準優勝 |
2012年 | ロンドンパラリンピック日本代表 | 9位 |
・車いすバスケットボール男子日本代表ヘッドコーチ
・車いすバスケットボールU23男子日本代表ヘッドコーチ
・SPORTS JAPANアンバサダー
・室蘭ふるさと大使
・浦安市PR大使
・講演会講師
・『車いすバスケで夢を駆けろ~元Jリーガー京谷和幸の挑戦~』(2011年12月 / 金の星社)
※2012年『読書感想画コンクール』指定図書に選定
・「車椅子バスケのJリーガー」(2010年3月 / 主婦の友社)
・映画「パラレル」(2009年3月公開)
・『パラレル ’08年北京パラリンピック日本選手団主将 京谷和幸の物語』(著者:別府優希 原案:京谷和幸 2009年1月 / 祥伝社)
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