Yumiko Ishiguro
交通事故による後遺症を克服しオリンピック出場を果たした奇跡のアーティスティックスイミング元日本代表(旧:シンクロナイズドスイミング)
1983年10月生まれ。愛知県出身。小学2年生の秋、交通事故に遭遇し、顔面を540針、口の中を260針縫う大けがを負った。治療中にテレビで見たシンクロナイズドスイミング(現・アーティスティックスイミング)に憧れ、翌年から競技を始める。記憶喪失や顔面まひ、視力障害、難聴などの様々な後遺症に苦しみながらも、母と二人で夢の舞台であるオリンピックを目指し、2008年北京オリンピックに見事出場を果たした。
厳しい練習の傍ら愛知教育大学で幼稚園から高校までの教員免許を取得した努力家。神戸大学大学院を経て現在は奈良女子大学大学院にて、言葉の力を脳科学的知見で研究中。2021年より地元木津川市に子育て支援団体エンジェルペップを創立。地域の子育て世帯に【あったら良いな】を提供している。2023年木津川市スポーツ協会理事に就任。女性研究者として、スポーツ文化人として、母として、多方面に活躍中。
2002年 | 愛知県立日進高等学校 卒業 |
愛知県立日進高等学校 卒業 | |
2007年 | 愛知教育大学 初等教育教員養成課程 卒業 |
2009年 | 愛知教育大学大学院 修士課程教育学研究科 修了 |
神戸大学大学院 博士課程後期課程(運動心理学)入学 | |
大阪府高槻市医師会看護専門学校 非常勤講師(~2014年) | |
兵庫県西宮市立香櫨園小学校 非常勤講師(~2011年) | |
2015年 | 神戸大学大学院 博士課程後期課程(運動心理学)満期退学 |
奈良女子大学大学院 博士課程後期課程(教育心理学)入学 | |
2016年 | 迫手門学院大学 非常勤講師(~2017年) |
2019年 | 創価大学 非常勤講師 |
2001年 | FINAジュニアワールドカップ(アメリカ) | チーム2位 |
第56回国民体育大会(宮城県) | デュエット2位 | |
2002年 | スイス・オープン | デュエット3位、チーム優勝、コンビネーション優勝 |
2003年 | スイス・オープン | チーム優勝、コンビネーション優勝 |
2006年 | 日本選手権 | コンビネーション3位 |
2007年 | スイス・オープン | ソロ優勝、チーム優勝、コンビネーション優勝 |
日本選手権 | ソロ6位 | |
全国チャレンジカップ | ソロ2位 | |
2008年 | 北京オリンピック | チーム5位 |
2008年 5月 | 国立大学法人 愛知教育大学 奨励賞 |
2008年 8月 | 文部科学省 表彰 水泳 |
2008年 9月 | 愛知県名東警察署 1日警察署長 感謝状 |
国立大学法人 愛知教育大学 学長賞 | |
愛知県庁 愛知県スポーツ功労賞 | |
2008年12月 | 愛知県刈谷市役所 刈谷市民栄誉賞 |
2009年 2月 | (財)大幸財団 丹羽奨励賞 |
2009年 3月 | (財)愛知県体育協会 特別優秀選手賞 |
愛知県名古屋市役所 名古屋市スポーツ功労賞 | |
2009年 8月 | (財)名古屋市体育協会 体育功労賞 |
演題:「夢をあきらめない」
交通事故による後遺症を克服し、奇跡の生還を果たす。シンクロとの出会いで夢をもつことができた。目も見えず耳も聞こえない状態。それでも必ずオリンピックに出られると確信していた。持ち前の明るさと前向きな性格で乗り越えた。
普段の生活の中で「よかった探し」をすること、それはどんなに苦しく厳しい状況の中でも、一筋の光を見つける作業。そして、「夢ノート」を書くこと。夢や目標をノートに書き、叶ったら赤鉛筆で「ありがとうございました」の感謝の言葉を書いて線を引く。その習慣が石黒を大きく成長させた。
夢は叶うまであきらめない。途中やめても、またやればいい。そうやって何度も立ち上がる者が人生の勝者となる。
・DVD『The Stories Vol.1 信じる力』(ブザービート 2014年5月発売)
・書籍『奇跡の夢ノート』(NHK出版 2010年8月発行)
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