Daisuke Uehara
トリノで日本人選手最多ゴールを決め、バンクーバーでは準決勝決勝ゴール!日本を銀メダルに導いた。一時引退も復帰し平昌出場に貢献
生まれながら障害(二分脊椎)を持ちながらも、小・中・高と普通学級で過ごす。幼少期は車椅子を置いて山や川で遊ぶことも多く、元気でやんちゃな少年だった。19歳から、自分の個性を活かし、自分自身を最大限に表現できる1つの「手段」としてアイススレッジホッケーの練習に本格的に取り組み始める。
競技歴わずか4年でトリノパラリンピック日本代表として選出され、日本人選手最多のゴールを決め、世界ランキング4位の成績を収める。
2010年バンクーバーパラリンピックでは、準決勝のカナダ戦で価千金の決勝ゴールを決め、銀メダル獲得に貢献した。
その後、本場のアメリカで単身武者修行。ソチパラリンピック出場を目指したが世界最終予選で出場権を獲得できず一度引退。平昌パラリンピック最終予選を前に現役復帰し、今度は運動量と経験を生かしたディフェンシブな選手としてチームを支え、2大会ぶりのパラリンピック出場へ大きく貢献した。
競技生活の傍ら、パラアイスホッケーの魅力や障害の有無に関わらず楽しめるスポーツということを伝えるために「会う・話す・見てもらう」をモットーに競技の普及活動にも力を入れており、子どもたちの体験会や、障害を持つ子どもたちを集めてのスポーツキッズキャンプを企画している。特定非営利活動法人 D-SHiPS32代表。
2004年 | 世界選手権 6位 |
2006年 | トリノ・パラリンピック大会 5位 |
2008年 | マルボロー世界選手権 4位 |
2009年 | CANADA CUP(バンクーバー冬季パラリンピックテスト大会) 3位 |
オストラヴァ世界選手権 4位 | |
2010年 | バンクーバー・パラリンピック 2位 銀メダル |
2018年 | 平昌パラリンピック 8位 |
・東京アイスバーンズ所属
・競技の普及のために行っている「スポーツキッズキャンプ」をはじめ、講演会などでも活躍中。
・「スポーツのこと、自身の経験、チャレンジすることの大切さ」
・「チャレンジや経験、スポーツに対する姿勢」(学生向け)
・「100%の気持ちで行ってらっしゃいを言ってあげることで、100%以上に子どもが育つ」(保護者向け)
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