Takeshi Koba
広島東洋カープ球団創立初優勝・日本一3回に導いた名将
現役選手時代は1958年から1969年まで広島、1970年、1971年南海に所属し内野手として活躍。俊足・巧打で盗塁王2回、1369安打を放った。
1975年から広島東洋カープ監督を11年間務め、球団創立初のリーグ優勝、日本一を成し遂げ、リーグ優勝4回・日本一3回の黄金期を築いた。1999年野球殿堂入り。
1958年 | 広島カープ入団。俊足・巧打の内野手として活躍、盗塁王2回 |
1970年 | 南海ホークスへ移籍 |
1971年 | 現役引退 |
1974年 | 広島カープへコーチとして復帰 |
1975年 | 広島カープ監督就任球団創立26年目にして、セ・リーグ初優勝を果たす。 |
「本当に優勝したんですね」の名言を残す。 | |
1979・1980年 | 連続日本一。正力賞受賞 |
1984年 | 3回目の日本一 |
1985年 | 広島カープ退団 |
1987年 | 横浜大洋ホエールズ監督就任 |
1989年 | 横浜大洋ホエールズ監督退団 |
1999年 | 野球殿堂入り |
2004年 | マスターズリーグ優勝(札幌アンビシャス監督) |
2008年 | 東京国際大学監督就任 |
2015年 | 東京国際大学硬式野球部名誉監督就任 |
?????◎監督通算成績:873勝791敗137分 リーグ優勝4回、日本一3回 |
・「耐えて勝つ」
座右の銘であり色紙などに書き添える「耐えて勝つ」という言葉。1975年、山本浩二、衣笠祥雄ら名選手の活躍もあり、球団創設26年目にして初優勝。ひとつの試合も落とせない優勝争いのなか、耐え忍んで129試合目にしてつかんだ栄冠の喜び。現役時代、長嶋茂雄と首位争いを演じたこと。父親を早くに亡くしたため、大学を1年で中退してプロを目指したこと。野球人生を通じて古葉が体験してきた数々のエピソードには、生きるための勇気と知恵が散りばめられている。
・東京国際大学硬式野球部名誉監督
・公益社団法人少年軟式野球国際交流協会理事長
・全日本大学軟式野球連盟会長
・東京中日スポーツ野球評論家
・J SPORTS解説
・講演活動
・『耐えて勝つ』( 1975年 / 講談社)
・『決断に悔いなし』 (1996年 / 熊本日日新聞社)
アスリート・スポーツ文化人をキーワードで探す キーワードを入力してください。 ![]() |
競技・ジャンルで絞り込む |
||
講演/研修テーマ 出身・ゆかりの地 フリーワード |
CONTACT
東京都千代田区丸の内1-11-1
パシフィックセンチュリープレイス丸の内16F
このホームページに関わる著作権、その他一切の権利は株式会社RIGHTS.に帰属します。このホームページの一部または全部について、無断転載、複製を禁止します。
©
RIGHTS. Inc. All Rights Reserved.