原田 裕花
原田 裕花
Yuka Harada
2度の右膝靱帯断裂を乗り越え、オリンピックに出場
〜失敗を恐れなくなったとき、道が開けた〜(04.03.12)
Q:バスケットボールをはじめたきっかけは?

A:小さい頃から足の速さには自信があり陸上部に所属していたが、小学校3年生の時友人に誘われ始めました。やってみると“みんなでひとつのボールを追いかける”という団体競技ならではの魅力に引き込まれていきました。
山口県新南陽市立富田中学校、大分藤蔭高等学校とバスケットボール部に所属。念願のインターハイ出場も果たしました。

Q:その後、共同石油(現ジャパンエナジー)に入って、いきなり活躍しましたね。

A:高校時代はまだ全国的な選手ではなかったので、実業団に入るのは気後れしましたが、当時全日本の監督でもあった中村和雄前監督から熱心に誘っていただき、入社しました。
一年目から試合に出る機会も多く、全日本にも選ばれました。中村監督は「年齢に関係なく、コートの中が勝負」という指導方針で、周りの先輩方にも支えられていい環境の中でプレーすることが出来ました。日本リーグ優勝や新人王受賞など経験させていただいた中村監督には、「失敗しても使い続けてもらった」ことに感謝しています。

Q :順調な選手生活ばかりではなかったとか?

A:そうなんです。入社2年目(88年)に右足じん帯断裂で手術をしました。このときはリハビリも順調で一年でカムバック。89年には皇后杯、日本リーグ優勝、さらにカムバック賞までいただきました。90年からは所属チームと全日本のキャプテンも務め、悪戦苦闘ながら徐々に自信もついて、さあ目指すはオリンピック出場へまっしぐら!というところでやってしまったんです。大怪我を!!

Q:まさに波乱万丈ですね。

A:95年全日本チームでのドイツ遠征中、またも右膝じん帯断裂。帰国は一人ぼっち。さすがに弱気になりました。でも、成田からの帰り道、オリンピックへ向けて「まずできる事をしよう」という気持ちになったんです。
開き直りですね。そして手術。しかし2週間の入院予定が結局5ヶ月にもなりました。その間手術は三回。毎日のように体に管を通して行われる治療に「このまま死んでしまうのか」と考えてしまうほど辛い入院生活でした。
それこそ、「プレーどころではなく普通の生活に戻るだけでもいい。」というくらい追い詰められていました。
そんな時、全日本チームはアトランタオリンピック・アジア地区予選を戦っていました。順調に回復していれば応援に行く予定でしたが、入院中だったため現地に行っている友達に電話で実況してもらい、試合の行方を見守っていました。アトランタの切符を手にした時、電話の向こうで選手たちが「裕花さんのために頑張ったよ。一緒にアトランタに行こうね。」と言ってくれたんです。私にはこの仲間たちの言葉がどんな特効薬にも勝る薬でした。先が見えずあきらめかけていたオリンピックをもう一度目指して頑張りたいという気持ちが、心の底からわいてきました。それからはリハビリも順調に進み、95年11月に退院しました。

Q:いよいよアトランタオリンピックですね。

A:5ヶ月間の入院生活のためプレーできるまでの筋力を取り戻すのは大変でした。このときもまた開き直ってリハビリに集中したためか、退院して2ヶ月でプレーできる状態になり、何とか最終選考会でもメンバーに残ることが出来たんです。ホッとしました。オリンピックではスターターの5人には入れませんでしたが、今まで感じたことのなかった控え選手の大変さが理解できたのは貴重な経験でした。本当に楽しいオリンピックでしたが、自分としては完全燃焼できたという思いが強く、引退を決意しました。

Q:引退後の活動は?

A:自信はなかったんですがチャンスがあれば挑戦してみようという思いで、スポーツキャスターを始めました。最初は自分をなかなかさらけ出すことが出来ず、周りの目ばかり気にしていたため逃げ出したくなることも多かったのですが、失敗することを恐れていては何も出来ないと気付き、今では気持ちを楽にして仕事が出来るようになりました。

Q:違う世界で考えることも多いのでは?

そうですね。選手時代は当たり前のようにやっていた“自信をつけるための練習”。これはどんな世界でも変わらないんだなと。だから今は挑戦している自分が支えとなっています。どんなことでもチャンスがあればこれからもチャレンジしていきたいと思っています。今後のテーマは「挑戦」です。

Q:講演会のテーマは?

バスケットボールの楽しさを伝えていきたいですね。そしてオリンピックに興味を持ってもらい、子供たちがオリンピック選手を目指すきっかけになればいいなと思います。
また、出来ないことでもあきらめずに!やりたいと思ったことは何でもチャレンジする!たとえ失敗してもその後の人生の中で決して無駄にはならないということを自分の経験として伝えていきたいですね。団体競技ならではの“みんなでつくりあげることの喜び”などもあわせて伝えられればと思います。

インタビューを終えて(渡辺伴子)

オリンピックチームのキャプテンまで務めた人なのに更にチャレンジする姿勢はすごい!色んな経験が人間的な深さを作ったんでしょうね。私も不得手なことにチャレンジする勇気をいただきました。