萩原 美樹子
五輪予選へのご声援ありがとうございました!感謝
〜バスケ女子日本代表のアシスタントコーチを務めて〜(04.01.18)
アトランタ五輪、米国女子プロチームを経て大学へ社会人入学
〜今からでも遅くない、アメリカで学んだパワフルな生き方〜(03.03.19)
<オリンピック出場まで>

バスケットボールを始めたきっかけは、元全日本候補選手だった父親の影響。高校時代は2度のインターハイ・国体の出場も、日本史に興味があり、将来は大学を出て日本史の教師になるのが夢だった。
しかし、共同石油(現ジャパンエナジー)前監督中村和雄氏に「勉強は後からも出来るがバスケットボールは今しかできない。全日本チームに必ず加えるから。」と説得されジャパンエナジーに入社。 4年連続日本リーグ得点王に輝くなどすばらしい成績を修め、96年にはアトランタ五輪に出場。

<アトランタ五輪で学んだこと〜最後は運にまかすしかない!>

オリンピックのような究極の場面では、どう頑張っても自分の力ではどうする事肉体的なことはもちろん、技術、作戦、相手の研究・・・すべての面で最後の瞬間を“運”にゆだねる事ができる準備と精神状態にしておく事が大切なんだと。結果はともかく、萩原自身もできないような大きな力を感じた。
だから試合までにできる限りの準備をする。アトランタ五輪にそれだけの思いを持って臨むことができた満足感や達成感はあった。

<アメリカ女子プロバスケットボール加入へ>

アトランタ五輪後引退を考えた時期もあったが、幸運にも97年に発足したアメリカ女子プロバスケットボール機構(WNAB)から、エリートドラフト2巡目でサクラメントモナークスに指名された事で予期せぬ道が開かれた。(その後フェニックスマーキュリーに移籍)
自信はなかったが、世界のトップ選手が集まるアメリカプロリーグで自分の力を試したいと97、98年の2シーズンをWNABとジャパンエナジーの選手という二足のわらじをはき、現役を続けることになる。

<アメリカで考えたこと>
アメリカでの滞在期間はシーズン中の約3ヶ月間という短期間だったため、日常生活やチームに慣れることがなかなかできなかった。仲間のジョークにも通訳を介するため、ワンポイント遅れて笑うしかない。同じ物の見方ができる仲間のいない孤独感を味わうことばかり。
しかしこの時期は、自分を見つめ直すきっかけになった。これから自分は何をしたいのか?ヒントはアメリカでの生活で見つけることができた。バスケットボールだけにこだわることはないんだ!全く違うことにチャレンジするのは今からでも遅くはない。アメリカでは何歳であろうと、自分が学びたいと思ったら大学へ行き勉強する。
女性だって人生設計をきちんと立て、目標を持って楽しもうとするパワフルな姿が魅力的だった。
「日本へ帰ったら大学へ行こう!ずっと勉強したかった日本史を学ぼう」そう決心できたのはアメリカの文化に触れたことが大きかった。また、以前にも増して日本のよさを再確認できた。
「自己主張の強いアメリカ文化よりも、繊細な感性の日本文化が私は好きなんです」

A:以前は大リーグも人口芝が多かったのですが、今はほとんどが天然芝に変わっている状況です。プレーするうえで、やっぱり大きな違いですね。

<現役引退〜現在まで>

99年引退後、いったん会社をやめ郷里福岡へ帰り1年間の受験勉強。そして、00年見事早稲田大学第二文学部に合格! 好きだった日本史を存分に学べるという充実した日々。
でもどこかでバスケットボールに結び付けて考える自分がある。例えば、古典芸能を見たとき、その歴史より身体表現に注目してしまう。人形浄瑠璃だと人間にはできない腕の動きや、歌舞伎や狂言ではアスリートとは違う筋肉の動きによって表現される演技に魅了される。こう考えると、萩原自身の人生を形成してきたものはバスケットボールであり、それなくして人生を語れない。
現在、ジャパンエナジー総務担当に所属し、バスケットボールの講習会や講演をする傍ら早稲田大学第二文学部で日本史を専攻しているが、常にバスケットボールの環境整備に協力したいと考えている。底辺の拡大、トップアスリートの強化、はたまた引退した選手の第二キャリアの確保であったりと様々だが、とにかく日本でもバスケットボールがメジャーなスポーツになるようサポートしていきたい。
今後はいろんな角度から物を見ることができるように、様々なスポーツ選手と交流を深めたいと思っている。

<現在の活動>

JOMOクリニック(年6回)をはじめバスケットボール講習会、講演。テレビ解説:Wリーグ(NHK)、高校生のウィンターカップ(テレビ朝日)、早稲田大学のアシスタントコーチなど。

<バスケットボール講習会では>

一方的に教えるというのではなく、参加者と一緒に体を動かし、考え、アドバイス。

<講演会では>

“私とバスケットボール”:ミニバスケットからオリンピック、アメリカ女子リーグまで萩原美樹子の歩んだ道。4人の指導者との出会い。バスケットボールの楽しみ方。