ライツネットワークメンバーの大古誠司プロフィール
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大古誠司
Seiji Ooko
メキシコオリンピック銀、ミュンヘンオリンピック金をはじめ、男子バレーボール界の黄金時代を築く―日本のエーススパイカー「世界の大砲」 。現在、沖縄県バレーボール協会スーパーアドバイザー。アメリカ殿堂入り。
大古誠司
略歴
1948年、神奈川県川崎市に生まれる。67年、地元・川崎にある日本鋼管に入社。その年からVリーグの前身である日本リーグの第1回大会にエースアタッカーとしてレギュラー出場。デビューしたその年にいきなり敢闘賞、ベスト6賞の2冠に輝く。その後、日本リーグで最高殊勲選手賞2回、敢闘賞2回、スパイク賞3回、ブロック賞3回、べスト6賞7回受賞という輝かしい記録を残し、日本鋼管バレーボール部の黄金時代を築く。

国際大会には67年、19歳で東欧遠征に参加し全日本デビュー。国際舞台での活躍も華々しく、68年のメキシコオリンピック2位を皮切りに、69年第2回ワールドカップ(東ベルリン)2位、70年第7回世界選手権(ソフィア)3位、72年ミュンヘンオリンピック優勝、74年第8回世界選手権(メキシコ)3位、76年モントリオールオリンピック4位と、常に全日本男子バレーボールチームの主力アタッカーとして活躍。ミュンヘンオリンピックで日本男子バレーに初の金メダルをもたらした立役者となり、「世界の大砲」と称された。若き日の大古を見たブランデージ元IOC会長から「ビックホース」と、そのパワフルなプレーぶりを称賛された逸話を持つ。

ミュンヘンオリンピック後、73年サントリーに移籍、バレー部を創設。同社バレー部の主将、監督を経て、82年第10回世界選手権(アルゼンチン)4位、84年ロサンゼルスオリンピック7位、90年第12回世界選手権(ブラジル)11位では全日本チームのアシスタントコーチを務めた。翌年4月から95年12月まで監督として全日本男子チームの指揮を執り、91年第7回ワールドカップ(日本)4位、92年バルセロナオリンピック6位、94年第13回世界選手権(ギリシャ)9位、95年第8回ワールドカップ(日本)5位に出場した。オリンピックに選手として3度、コーチとして2度、世界選手権にも選手として2度、コーチとして3度出場しバレーボール界の発展に大きく貢献した。04年4月アメリカバレーボール殿堂入り。現在もバレーボール界の発展に情熱を注いでいる。
大古誠司
主な競技歴

1968年
1969年
1970年
1972年
1974年
1976年

メキシコオリンピック 銀メダル
ベルリンワールドカップ 銀メダル
ソフィア世界選手権 銅メダル
ミュンヘンオリンピック 金メダル
メキシコ世界選手権 銅メダル
モントリオールオリンピック 4位
【全日本コーチ歴】

1984年
1989年
1990年

ロサンゼルスオリンピック 7位
ワールドカップ 6位
アジア大会(北京) 3位
【全日本監督歴】

1991年
1991年
1992年
1993年
1994年 
1995年
1995年 
2002年 

アジア選手権(パース) 金メダル
ワールドカップ(日本) 4位
バルセロナオリンピック 6位
アジア選手権(タイ) 銅メダル
アジア大会(広島) 金メダル
アジア選手権(ソウル) 金メダル
ワールドカップ 5位
アジア大会(釜山) 銅メダル
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