ライツネットワークメンバーの箕輪 義信プロフィール
お問い合わせ・出演依頼はこちら
箕輪 義信
Yoshinobu Minowa
 
闘争心溢れる熱いプレースタイルでサポーターから愛される「鉄人ミノ」
187cmの長身と屈強なフィジカルで戦う国内屈指のセンターバック。川崎フロンターレではクラブ在籍選手初の日本代表に選出された。
2008年、チームの精神的支柱としての期待を受け、コンサドーレ札幌に完全移籍。
ホームゲームでは自ら用意した「箕輪シート」に地元の子どもたちを招待するなどプレースタイル同様、サポーターへの想いも熱く、サポーターからは「ミノ」の愛称で親しまれる。
箕輪義信
写真提供/J.LEAGUE PHOTOS  
経歴
1976年6月2日、神奈川県川崎市生まれ。神奈川県立弥栄西高等学校から仙台大学に進学し、大学ではユニバーシアード代表にも選出された。
大学卒業後の1999年、当時国内はもとよりアジアでのタイトルも獲得する強豪「ジュビロ磐田」に入団するも、なかなか出場機会に恵まれず、2000年シーズン途中、出場機会を求め、既にJ2降格が決定的だった地元の「川崎フロンターレ」に移籍を決意。
2001年シーズンからはレギュラーに定着し、守備の要として活躍。2004年には他チームに圧倒的な差をつけJ2で優勝、J1への復帰を果たす。その後もJ1で活躍し、念願の日本代表入りも果たすが、2007年末からグロインペイン症候群に悩まされ、2008年はリハビリに専念し、長期の戦線離脱。
怪我からの復帰後、J1残留を目指す「コンサドーレ札幌」からオファーを受け、レンタル移籍するが、試合中に右足腓腹筋腱断裂の大怪我を負ってしまう。
しかし、怪我でプレーできないにも関らず、コンサドーレ札幌から復帰後の活躍に期待を込めた完全移籍のオファーを受け、これを快諾。札幌を再びJ1へ上げるため、懸命のリハビリを続けたが、復帰することはできず、2010年に札幌を退団。2011年もトレーニングを続け復帰を目指したが、度重なる怪我の影響は大きく、2011年9月に現役引退を発表した。
日本代表
川崎フロンターレでの活躍が認められ、2005年8月東アジア選手権での日本代表入りが内定していたが、同時期に突発性難聴を患う。医師から無理をすれば聴力を失うといわれたが、代表への想いが強く、一度はプレーを続けることを決意。
しかし、周囲の説得もあり、まもなく生まれる娘の声を聞くためにと治療を選択。その後、見事復帰し、同年10月の東欧遠征のメンバーに選出される。
フィールドプレイヤーでは史上最高齢での初代表(当時)として話題になり、対ウクライナ戦で日本代表デビューを果たした。
箕輪義信
所属クラブ
1999〜2000年 ジュビロ磐田
2000〜2008年5月 川崎フロンターレ
2008年6月〜2010年 コンサドーレ札幌
出場記録
Jリーグ リーグ戦 256試合17得点
ナビスコカップ 22試合
天皇杯 16試合1得点
ACLチャンピオンズリーグ 7試合
国際Aマッチ(日本代表) 1試合
  ※2009年7月時点
タイトル
2005年 Jリーグ優秀選手賞
関連リンク
・箕輪義信オフィシャルブログ 「MINO MIND & FAMILIA」