ライツネットワークメンバーの松本 育夫プロフィール
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松本 育夫
Ikuo Matsumoto
座右の銘は「全力に悔いなし」。その言葉通り、目標や夢に向かって持てる力を全て注ぎ込む熱きサッカー人
「オリンピックに出場したい」、「良い指導者になりたい」。目標と夢のため、尽きない情熱を注ぎ込み生きてきた。そして、選手としてはメキシコ五輪で銅メダル獲得、指導者としてはJリーグ監督30人を輩出した。42歳のときに遭遇した爆発事故で九死に一生を得たのも、それまでの一日一日に養われた力があったから。圧巻のサッカー人生に終わりなし。
松本育夫
略歴
1941年11月3日、栃木県宇都宮市生まれ。早稲田大学、東洋工業で天皇杯優勝4回。日本サッカーリーグは、創設初年度の1965年から4連覇を含む優勝5回。日本代表には大学1年のときに当時史上最年少で選出され、1966年バンコク・アジア大会の銅メダル、1968年メキシコオリンピックの銅メダル、FIFAフェアプレー賞受賞に貢献。
現役引退後は社業の傍ら1972年から8年間、ユース日本代表監督を務めた。1983年11月、会社の研修先でガス爆発事故に遭遇し、両手両足骨折・火傷40%の重傷を負うが奇跡的に助かり、2年に及ぶリハビリを経て現場に復帰。
1996年にマツダを退職し、京都パープルサンガGM、川崎フロンターレ監督、地球環境高校サッカー部監督、サガン鳥栖監督、同GMと、長年にわたりプロの指導者・強化担当者の道を歩む。
2011年5月サガン鳥栖のアドバイザーを辞任、退社。同年、サガン鳥栖がJ1昇格を決める。
現在はサッカー解説、講演などを精力的に行なっている。
経歴
1964年 早稲田大学卒業 東洋工業株式会社(現マツダ株式会社)に入社
社業のかたわら、サッカー選手、指導者として活躍
1996年7月 人材開発部部長を最後にマツダを退社
1996年8月〜
    1999年1月
Jリーグ・京都パープルサンガ チーム統括ゼネラル・マネージャー
1999年4月 Jリーグ・川崎フロンターレ監督としてJ2優勝・J1昇格
2000年 富士通川崎スポーツ・マネジメント株式会社 代表取締役社長
2002年4月 地球環境高校サッカー部監督に就任
創部7ヶ月で長野県大会優勝、全国高校サッカー選手権出場
2003年5月 高校総体県予選 初出場初優勝
2004年1月〜
       2006年
J2・サガン鳥栖監督
2007年 株式会社サガンドリームス専務執行役員ゼネラルマネージャー
2009年 株式会社サガンドリームス取締役兼ゼネラルマネージャー
2010年1月 サガン鳥栖監督に再就任 同年12月退任
2011年5月 2011年5月 サガン鳥栖 アドバイザーを辞任、退社。同年、サガン鳥栖がJ1昇格を決める
主な競技歴
・日本代表 早稲田大学1年時の1960年より9年間
・メキシコオリンピック(1968年)銅メダル
・バンコクアジア大会(1966年)銅メダル
・天皇杯 優勝4回
・日本サッカーリーグ 優勝5回
資格
・FIFA(国際サッカー連盟)公認コーチ
・日本サッカー協会公認S級ライセンス
松本育夫
主な講演内容

「人生へのチャレンジ」
人生において、目標、夢を持って生きることが素晴らしい体験を生む。“「やっておけば良かった」の人生”なのか、“「やっておいて良かった」の人生”なのかを問いかける。

「“目標”・“夢”が、“運”を運ぶ」
1983年、命を落としていておかしくないプロパンガス事故(死者14人)に遭遇しながら助かったのは、サッカーでオリンピックに出たい、良い指導者のなりたいと力を尽くし、一日一日培われたものが命の危機に際し役に立った。

「スポーツと人生」
高校1年で本格的にチャンピオンスポーツにチャレンジ。目標と夢を持って取り組んできた体験の中から教えられた「人生どう生きるべきか」。「愚か者 弱き者『運』を信じ、賢き者 強き者『結果』を信ずる」。

「リーダーのあるべき姿」
「やって見せ、言って聞かせて、やらせてみせて。人を導く情熱が人を育てる」…長年にわたり実践してきたリーダーの理念と哲学を説く。

著書
・『燃えてみないか今を!』(パルス出版)
・『サッカーになぜ世界は熱狂するのか』(毎日新聞社)
・『尽くしてみないか、全力を』(実業之日本社)
・『松本育夫のサッカー スーパー監督学』(郷土出版社)
・『天命 ―我がサッカー人生に終わりなし』(クリーク アンド リバー社)